育児:せりふ一つで魔法のように乳幼児は達するのかもしれない。「乳幼児の心の芽」

俺は、手に負えない問題児を持ち合わせると思っていた。それほど、あの日光までは・・・
ふたりの赤ん坊がいるが、姉の人物は率直で優しくて思いやりがある反面、興味をすれば癇癪を齎す、言葉使いは悪賢い、たたく、蹴る。おや、すでに何とも問題児です!「取り除ける」とまで思った時もあった。虐待をしてしまいそうな自分が怖かった。しかしある日何故か、相性の悪いはずの俺に学業の家路、花を摘んできてくれたのだった。「どっちみち早朝、怒ったからそれのご感情受けとりだろう」と初めはとても感じなかった。でもはっとしたのは、一週も続いた間だった。「もしかしてこの子は、喜ぶと思って摘んでくれているんじゃないか」と。それから俺は悩んだ。考えた。ネゴシエイションした。しかし、彼氏のことは貫く。
考えた数値、前もって「有難う」「あなたの点お宝よ」「含み笑いが眩しいね」「あなたがいて得ると内部が平穏で母は美味しいわ」こういう4つの音声がけをしてみた。すると、相当魔術が解けたように「母、一緒にミール作ろう」という耳を憂うような言葉が一週で彼氏から出てきたのだった。「ええ!できるの?楽しい」私も素直に喜んだ形相をしていただろう。二人で自作ピザを作った。サクランボの材料を庭園に植えた。一日でこういう2つをしただけです。それからあれよあれよという間に、赤ん坊は俺に「抱っこして」「一緒に遊ぼう」「一緒におバスに入ろう」と要求してきたのだった。私のほうもできる限り、忙しないながらも暇を取り、その申し入れに答えるように努めた。赤ん坊の心は純粋無垢だったのだ。お花が好き、お絵かきが好き、工作が好き・・・何を俺は見てきたのだろう。誹謗、天の邪鬼、率直ではない、言うことを素直にはきかない、言葉が悪賢い。どれもこれも、こういう父母です唯一のスタンスや児童にとって基地ですべき女の俺が勝手に貼り付けた荷札です。そうして「どっちみち言っても受け流すから放っておこう」という放任へとつながったのだ。いつしか、姉が育て易いからといって、比べていたのだ。そして問題児だと悩んでいたのだった。さんざっぱら掘り起こせば、俺から始まった点だったのだ。それに気づいて愕然とし、実際赤ん坊に申し訳なく、土下座狙う気合になった。あの学業帰りの花摘みのお手伝いがなければ気付かなかったし、見方もしなかっただろう。赤ん坊は芽です。じっと日光に当たっていないと日光を当ててくれている人物に、傾いて行く。じっと光合成をやる子は、つまり愛を受けている子は優しさを覚え、他の仲良しや身寄りに優しさという花を咲かせることができる。うちにも花が咲いてほしい。赤ん坊にも花が咲く気持のよさを知ってくれ。花が綺麗で、嫌いなヤツがいないのは、それは見ているだけで脳裏が和んだり、暗い気分があっという間に晴れたりするからだろう。母さんの日光にもらったではないか。良い甘い花束を。ちっちゃなちっちゃなサクランボの材料を二人でシャベルで穴を掘って「芽が出ると良いねえ」と言って植えることを教えてもらったではないか。大人の俺は感情で「とにかく芽なんかでないんだろうなあ。この子、がっかりするだろうなあ」と思いながら・・・いつか芽が育ち、花が咲くだろう。サクランボの材料からも芽が出て花が咲くことをヤツは親馬鹿だと笑うかもしれないが、心の底から願ってやまない。そこまで俺はいつしか赤ん坊を問題児とは思わなくなったのだ。芽はつまむのではない。花を咲かせるための予約ステージです。花が咲くまできちんと目を背けることなく、光を当てていきたい。如何なる花であろうと済む。赤ん坊がサクランボの材料から咲く花を迎えるように、私も待とう。